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玉砂利と少女

 我が家の玄関は道路から数歩入ったところにある。そこで、道路と玄関を結んで煉瓦を敷き、その周辺に細かい白玉砂利を敷いてある。煉瓦の上を静かに歩けば玉砂利が飛び散ることはない。しかし、配達員も検針員も足元を気にすることなく踏み入るから、玉砂利が飛び散っていることが多い。

 さらには、玉砂利を敷いてある部分がざっくりと凹み玉砂利が道路の方にまで散乱していることがある。下校の小学生が道路脇の隣地(写真右下)に入って道路に沿って歩き、そのまま当家の花壇を飛び越して、幅跳びのように玉砂利に着地していくようだ。

 いずれにしても、白い玉砂利である。散らっていることは一瞥で明らかである。その原因が自分にあることも当然わかっている。しかし、私が後で気づくということは、散らかした当人はそのまま行ってしまったということである。散らかっているという認識がないのか、散らかっていることには気づいても自分が散らかしたとは考えないのか、そうは考えても悪いことをしたとは思わないのか。悪いとは思っても、知らぬ顔の半兵衛を決め込んだのか。理解に苦しむところである。幅跳びはしないものの、多くの大人も散らかしていくのだから、そうした様子を見て育った子供が散らかしても平然としているのは、当然というべきだろう。責められるべきは、周辺の大人であり親である。

 就学前であろうか、小さな少女を連れた母親が家の前を通っていった。少女は玄関アプローチの前を通るとき、「石が散らかっているよ」と言って、片付け始めた。

 こんな小さな子供でも、散らかっていることがわかるのだ。教わったわけではあるまい。普段の生活の中で、美意識と言えば大げさだが、整理整頓の意識が育っているのだろう。白い玉砂利が敷かれていた場所から弾き出されて茶色の煉瓦の上に、灰色の道路の上に散乱しているのを見とがめ、自分の家でもないのに、自分のせいでもないのに、それを片付けようとする少女がいる。そして、他人の家だから、手が汚れるからと言ってそれを止めるのではなく、見守る母親がいる。


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